ネガティブ思考アラフィフがアーリーリタイアするまでの記録

アラフィフの金融業界サラリーマンがネガティブ思考と戦いながらも1日も早いアーリーリタイアも目指してもがく日記

10回目の3・11

東日本大震災から10年経ちました。

従兄弟を一人、震災で亡くしました。津波です。幸いなことに一週間もたたないうちに遺体を発見できましたが、葬儀のときには棺は厳重に釘で打たれ、最後の対面をすることは叶いませんでした。

火葬の順番でしばらく行えなかった葬儀に参列するために東京から新幹線とバスを乗り継いでたどり着いた従兄弟が住んでいた街の、地震から一月以上経過していたのに街全体にまだ残っていた腐臭(タクシーの運転手さんは気がついていなかったようですが)、あたり一面の瓦礫、建物の上に乗っかったままの船や転倒した車、それらの情景は今でも忘れられません。

後から、従兄弟が津波にさらわれるまでの経緯を聞くことができました。ひょっとしたら逃げることができたのではないかと思われる、やりきれない想いが残る最期でした。

彼が最後に目撃されてから津波が来るまでの間、彼は何を考えていたんだろう。自分が死ぬ運命であることをわかっていたのだろうか。それとも死ぬか生きるかを考える余裕もなく逃げている間に、あっという間に津波に巻き込まれて意識をなくしたのだろうか。今でも考えることがありますが答えは出ません。ただ、確実に言えるのは、彼は死にたくて死んだわけではないということです。

大震災の後、私は休職せざるを得ないほどの精神的な不調に苦しむことになりました。今だから正直に言うと、自死するつもりで、家の周りを散歩しながら首吊りにほどよい場所を探していたこともあります。頸動脈を切るのにちょうどいい切れ味の包丁を物色したこともあります。

そんな状況でもギリギリで踏みとどまることができたのは、周りの人の支えも大きいですが、死んだ従兄弟の存在があったからです。生きたくても生き続けることができなかった人間の分まで生きていかなければいけない。その想いで、最後の一線を超えずに済みました。

できれば振り返りたくないことの方が多い3月11日ですが、生きることのありがたみを思い出す日、そして志半ばで逝った従兄弟のことを思い出す日として、これからも大事にしていきたいです。