ネガティブ思考アラフィフがアーリーリタイアするまでの記録

アラフィフの金融業界サラリーマンがネガティブ思考と戦いながらも1日も早いアーリーリタイアも目指してもがく日記

辞める その1

妻から仕事を辞める了解を得ることができました。無職生活にゴーサインです。

 

これから何をすべきか? 備忘録的にまとめてみました。

 

1.退職の手続き これは会社とのやりとりですね

2.失業保険の手続きの確認

3.健康保険と年金

4.企業年金の移行

まだあるかな? 思いついたら追加します。

ベゾスの後悔最小化理論

7月21日の日経にこんな記事が載っていました。

ベゾス氏支える「後悔最小化理論」 Amazonよりも宇宙: 日本経済新聞

有料記事なのでリンクをクリックしても全文は見れません。Amazonの創業者ジェフ・ベゾスは人生の選択の際に「やらないで後悔することにならないか?」を判断軸に置くという内容です。投資銀行を辞めてAmazonを創業した時の話として、

自分が80歳になったと仮定し、起業に失敗した場合と、起業しなかった場合の後悔の大きさを両てんびんにかけて迷いを吹っ切った。

として、AmazonのCEOを退任して宇宙旅行に出たのも、この後悔理論があったからではないか、と結んでいます。

 

私は知らなかったのですが、ベゾスのAmazon創業時の話は有名らしく、「Regret Minimization Framework(後悔最小化フレームワーク)」という言葉もあるようです。

 

この記事を見て、ハッとしました。いろいろなことを天秤にかけて次のステップに行くことよりも現状維持を選んでいるが、後々後悔することにならないか。悩んでばかりだけど、判断する軸を見失ってないか。自分に問いかけると、心がぐらつきます。

 

ベゾスのような金銭的余裕がないのは別として、振り返ったときにチャレンジしなかったことを後悔しないか。このことを軸に考えてみたいです。

NOTE書く人

最近知り合った人が本名でNOTEで記事書いていました。拙いこのブログでも気がつけば一月更新しないこともあるのに、数日に一本の割合で記事を書いています。素直に「すごいなあ」と感心しました。「しゅうさんもNOTE書いたら」なんて気楽に勧められましたけど、そうはいかないですよね。

 

ネタが続く気がしない

自分で始めようとしても、ネタが続く気がしないです。このブログも一緒ですかね(汗)。インターネットの迷宮に放置された、最終更新5年以上前のサイトよく見かけますよね。偶然検索でこういうサイトの記事を引っ掛けたとき、「成仏してほしいなあ」と「自分はこうはしたくないなあ」の両方を思います。それがプレッシャーになって記事書けないんですけどね。

 

本名晒すのはちょっと・・・

冒頭の知り合いは個人事業主のため本名でPRすることに意味はあるんでしょうけど、このネット社会で個人情報晒すのは怖いです。

 

というわけで、気負わずに好きなことをブログで呟くのが性に合ってるのかもしれません。誰も記事買ってくれないでしょうけど。

 

やることとコミュニティ探し

前回の記事から一月なにも投稿しないと催促(?)メールが届くんですね。

 

この一月、仕事が嫌で嫌でたまらないところに、私が所属する部署への不信感を感じさせる出来事があり、鬱々としていました。

 

今すぐにでも辞めたいのですが、相変わらず妻から出された宿題「辞めてからどうするの?」への答えがありません。

 

自分でも日中ゴロゴロではボケてしまうとわかってますので、何か目標を持ってその目標のために行動したいと思っています。アイディアはいくつか出てきたのですが、妻を納得させるレベルまで練れていないというところです。

 

それに、家庭以外のコミュニティに参加したいと思っていますが、なかなか見つかりません。社会との接点を持たないと妻への負担がかかりますからね。今まで会社以外のコミュニティに参加していなかったことを反省するばかりです。定年後に行き場がないサラリーマンみたいにはならないようにしたいと考えています。

 

これらの課題をクリアにしてから退職したいのですが、その前に心が折れきってしまいそうです。どうなるやら。

転職活動終了

以前も書いた転職活動ですが、その後奇跡的に話が進み、給料の提示までいきました。でも・・・辞退しました。

面接に行った話はこちら↓

転職活動で面接受けました - ネガティブ思考アラフィフがアーリーリタイアするまでの記録

 

いきなりテレワークはきつい

ありがたいことにコロナがあるうちは基本在宅勤務という条件でした。でも、一から人間関係作って仕事進めていかなきゃいけないのにリモートで人間関係作るの難しいよなあ、と考えました。私は知らない人でもガンガン電話してこっちのお願いを伝えることが苦手なので、人間関係ありきなんです。今の会社でも、入社したけどずっと在宅で周りのフォローがないのが辛いという人もいます。今は転職するタイミングではなかったということですかねえ。

チャレンジに見合う給料?

環境を変えるのはいつも苦労が伴います。しかもコロナ禍で大変なことが多い。そんなチャレンジに見合うほど給料が上がらなかったことも辞退した理由です。アラフィフにもかかわらず給料が上がることはありがたいです。でも、給料上がるX転職の苦労、よりも、今の給料X今の環境、のほうが自分が居心地がいいかな、という結論になりました。

 

とはいえ今の仕事が嫌なことには変わりはないです。今日もややこしいことがあって「やっぱり辞めたほうがよかったかな」と思ってしまいました。比較すれば居心地いいとはいえ、辛い毎日です。

異業種の人たちとの交流

最近、プライベートで異業種の人たちと会うことが多くなりました。念のため言うと直接会うことはなくオンラインでの交流です。しかも(年齢までは言わないので不確かですが)年下が多い。

 

ずっと金融村で過ごしてきたせいか、気がつくと周りは金融の人間だらけで、他業種の人と交わることはほとんどありませんでした。いわゆる内勤なので、営業とは違い外部の人と会うこともありません。昔からの友人も金融業界が多く、金融業界内のサークルだけで使用される言語や価値観でのコミュニケーションが多いのかもしれません。気がつけば、金融界の常識が世界の常識だと思うようになっていたようです。

そんなこともあり、積極的に村の外に出て、異業種の人とも関わってみようと思い立ちました。

他業種の人と会うと、金融村の常識は非常識だと気付かされます。末端とはいえども金融にいるので、今思うと赤面ものですが自社や金融業界のガバナンスやリスク管理は先端を行っていると思っていました。しかし、他業種の人と情報交換すると、金融村のガバナンスは周回遅れどころか石器時代的で、他の業界からは関心を持たれないということもわかりました。過剰に多い(私も含まれますが)間接部門は内部牽制の名の下に無駄にコストを使っているだけで、リスク管理のモデルにもなりません。

もっと言うと、金融で働いていることについて、自分たちで思っているほど誰もレスペクトしていないと言うこともわかりました。絶滅危惧種ですからね。 

そんな金融のダメっぷりの気づきとは別に、気がついたことがあります。

 

みんな元気

わかいからか、仕事で消耗していないからか、みなさんバイタリティに溢れています。日々の雑務で疲労しているままだと、彼ら彼女らには立ち向かえないくらいです。誰も「さっさとセミリタイヤしたい」などとは言わず、いかに自分の価値を上げて社会でステップアップしてくかを考えているようです。まぶしい。

共通言語の能力が衰えていた

上にも書きましたが、気がつけば金融村だけで使える言語に染まっていたようです。他業種の人と話をするときには、誰もがわかる言語・表現で話をしないといけないのですが、うまく自分の表現したいことが伝わらないことが多いのです。背景を完結に説明し(金融村だとすぐにわかってもらえることが多いのに・・・)、自分の価値観での評価をし(金融村では共通の価値観だからあえて言わなくても理解してもらえるのに・・・)、わかってもらう必要があるのですが、うまく伝わらない。説明が下手なのか、そもそも自分の価値観がおかしくて理解してもらえないのか。

デジタルに強い

当たり前と言えば当たり前ですが・・・会社では部下に面倒くさいセットアップを丸投げすればすみましたが、上下関係がないプライベートの社会では「Macの設定がよくわからなくて」と言っても誰も助けてくれません。ZOOMでよくわからない機能を駆使してたりしますが、ついていけません。

偉そうにすると誰も相手にしてくれない

老人ホームでこんな話聞きますよね。「俺は部長だった」とか会社時代の自慢しても老人ホームではみんな肩書きなしのお付き合い。人間に魅力がなく、自分からコミュニティに入ろうとしないとひとりぼっち。

こんなことが老人になる前に経験できるとは思いませんでした。

まず他の人の発言を否定しないこと。自分の主観だけで話をしないこと。自分の経験談は普遍的な定理にはならないことを理解しておくこと。あとはなんだろう・・・

 

そんなわけで、ただですら人と会うと疲れるのに、なんの因果か異業種の人たちと交わっています。疲労のせいか夜はぐっすり寝れます。しかし、いい刺激を受けて自分も前向きにならないとはいけないと思うきっかけにはなりますが、一方で、「このノリちょっときついな」と思うのも事実です。

 

今さらながらのアドラー心理学

GWの間、久々に「アドラー心理学入門」を読み直しました。

 

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

 

 

最初に読んだ時は内容がしっくりこなくてそのまま放置してしまい、アドラー心理学に深く触れることもなく今に至っています。なにがしっくりこなかったのか、読み返してようやく理解できた気がします。アドラー心理学に沿って生きるためには、自分が強くないといけないんですね。

 

アドラー心理学のキーワードの一つに、「人生の嘘」という言葉があります。人生において、もしくは日々の生活において何かを判断するときにはさまざまなしがらみを考慮に入れなければいけません。あるときは受け手がどう感じるかを慮ることであり、あるときは上司の理不尽な指示に従うことであったりします。100%納得がいく判断かもしれませんが、社会で生きていくからにはある程度の譲歩も必要と割り切ることもあります。「長い物には巻かれろ」とも表現します。

しかし、アドラー的にはそれではダメだそうです。自分は達成すべき目的には目を向けず、できなかったときの責任転嫁する材料を探しているだけ、それが「人生の罠」だと私は理解しました。

ではどうすべきか。自分の責任だけで選択すべき。「その選択の責任を最終的に取るのは誰か?」を考えれば、しがらみや他人の顔色は考慮には入らないはず、だそうです。

 

「いや、そうは言っても」とつい私は反論してしまいます。例えば仕事のことで、いろんな部署がいろんな思惑があって好き勝手なことを言ってきます。そんなところで自分が「あるべき姿」と思っている方向に強引に持っていったところで、誰もついてこないし機能しないことは明らかです。だから、日々ヘロヘロになりながらみんなの意見を最大公約数的に取り入れて、自分の中では気持ち悪いと思いながらも成果物を出してるのです。具合も悪くなります。しかし、そんな状況で自分の言い分を通そうとするには、反論する相当の勇気と体力が必要になります。

 

セミリタイアもそうです。自分の思うままに仕事を辞め、なんとかやりくりしながら日々の生活を送れば余計なストレスはないのかもしれません。そのためには家族の理解を得ることも必要ですし、親が介護が必要になったときの資金繰りも考えておかなければいけません。だから、イヤイヤながらも今日も出勤しているのです。

 

自分のことだけにフォーカスできれば確かに楽になるのかもしれません。そのためには、強くなくてはいけません。残念ながらその強さを私は持ち合わせていません。アドラー本の代表作は「嫌われる勇気」でしょうが、「勇気を出すための勇気」について教えて欲しいです。

 

入門だけでなく、本人が書いた書物も読むべきでしょうか? まずは「嫌われる勇気」なのかもしれないですが、読むかどうか自分でもわかりません。