ネガティブ思考アラフィフがアーリーリタイアするまでの記録

アラフィフの金融業界サラリーマンがネガティブ思考と戦いながらも1日も早いアーリーリタイアも目指してもがく日記

転職活動で面接受けました

四月に入った途端にバタバタし始め、ブログを書く心の余裕ができませんでした。こういうときでも日々更新しないとランキング上位にはならないのでしょうが、なんせ筆不精なもので・・・

大きな出来事として、転職活動が突然始まりました。同業他社で、これまで定期的なジョブローテーションで配置換えした人をあてがってきたあるポジションに専門性のある人をおかないと業務が回らないとのことで、人づての紹介でそのポジションに応募することにしました。

新卒大好きで中途採用を採用する印象はなく、むしろ50歳過ぎたら現場から外されて関連会社の閑職に出向するとの評判の会社でしたので、「アラフィフだけどいいの?」を何度も念を押しました。しかし、そんな私の懸念をよそに面接に進み、初めてZOOMでの面接を受けました(もちろん顔出し)。

面接自体は悪くなかったと思うんですけどねえ。その後音信不通。紹介してくれた人によると、担当者は私のような高齢者でも採用したいと頑張っているようですが人事がウンとは言わず苦労しているとのことです。

「まあそんなもんだろうねえ」が率直な感想です。この件は忘れることにしました。

みんな自信が持てない?

昨日は久々のオフィス出勤日。出勤していた同じ部署のメンバーは半分もいませんでしたが、数週間ぶりに顔をあわす人もいて、互いに近況を報告しあうだけに一日終わってしまいました。

 

目の前の席で別チームのマネージャーが部下と雑談をしていました。部下は、指示された仕事を言われた通りに行うことで精一杯で余裕がない、任された仕事はしっかりこなしたいのにできてなくて申し訳ないと思っている、のようなことを言っていました。

 

その部下の人は私とは直接の接点はないですが、入社間もないのにソツなく仕事をこなしているように見えましたし、そもそも入社して日も浅くてわからないことだらけだろうからまだ助走期間だと周りの人間は皆思っています。

 

マネージャーも私と同様のことを言っていました。「期待通りにできているから自信持って」とも言っていました。

 

自信。わかっているけどこれが難しいんですよね。私は自分の至らなさをいつも恥じており、「仕事を辞めた方がみんなのためになるのではないか」と日々考えてしまうくらいですから自分の仕事ぶりに自信が持てていません。でも今のところ「仕事できないからさっさと辞めてください」とは言われていません。

 

部下の人は、自分にポジティブな評価をすることができないとのこと。ついできていないところに目がいってしまうようです。

 

それを聞いたマネージャーも、いかに自分に自信がないかを力説(?)し始めました。仕事の能力だけでなく外見や私生活の問題などを挙げ、自分にがっかりとまで言っていました。

 

これも私から見ると「そうかな?」と思うことばかりです。仕事はしっかりこなし、おそらく私よりも高い給料をもらい、家族で都心のタワマンに住んでいます。いつも頼りにしています。モテるかどうかは知りませんが外見は悪くないと思います。

 

そしてそのマネージャーは常々私に「しっかり仕事できるんだから自信持って」と言ってきます。

 

結論:みんな自信持てないのかな?

今日(3月30日)の株価と今後の資産運用方針

昨日来の野村證券の損失記事を受けて今日の日経平均は下が・・・ってないですね。昨日のNYダウ平均も上がっているし、問題ないんですかね。

 

そもそも、野村證券の米国子会社が生じさせたという損失は何が原因だったのでしょう。いろんな記事が出ていますが、正直言ってわかりません。

www.jiji.com

www.asahi.com

 

一応は金融業界の端くれにいるので社内で聞いてみても、「結局なんでしょうね?」「野村の中でもわかってる人いないんじゃないですか?」と、みんな要領を得ない様子です。

 

ただ、大きくレバレッジをかけていたらしいヘッジファンドとの取引が原因、ということのようです。レバレッジというのが曲者です。誰も市場のプレイヤー達への正確な信用供与額を知らないし、何倍のレバレッジがかかっているのかもわかりません。コロナ禍にもかかわらず好調な株式市場のメジャープレイヤーには信用取引で実態より膨らんだヘッジファンド勢がいることはわかってはいましたが、追証を求めらる事態になれば一気に萎むかもしれないということですよね。今日の午前に一瞬だけ株価が下がったのは市場も同じように考えたからではと推測しています。

 

しかし、すぐに株価が回復したところを見ると、この見立ては間違ってたんですかね。素人の私でも「ついに株価下落か」と考えたくらいですからプロは当然盛り込んで取引すると思います。その結果が昨日よりも若干ですが株価上昇ですからね。

 

こんな状況でなにをすべきか。考えた結果、しばらく様子見かな、と。今月の投資信託自動定期購入は終わっています。今すぐ売らないといけない切迫した事情はありません。次の定期購入は来月末です。となると、少なくとも数週間は様子見でいいかなあと考えました。

 

今回名前が出たヘッジファンドの巨額の売りははあくまで不慮の事故なのか、それとも他のヘッジファンドも株高局面を破壊するような同様の時限爆弾を抱えているのか、わかりません。わからないものを考えても仕方ないと割り切りました。

 

動くのもあり、動かないのもあり。ということです。

 

ところで同僚が不気味な予言をしていました。「一年経って振り返ると、あの日がターニングポイントだった、ということになってるかもしれないね。あの日に株を買った連中は高値で馬場を掴ませれたね、と言われるかも」と。

ポジティブに切り替える(2021年3月のカウンセリングまとめ)

今月もカウンセリングに行ってきました。今思っていることを吐き出すと、どう整理すればいいかのヒントをもらえ、心が楽になります。しかし、「前も同じこと言われたよなあ。学習能力ないなあ」と自分にガッカリもしてしまいます。

 

今回は、ネガティブなことに頭が支配されてしまったときの切り替え方を教えてもらいました。支配されていると言っても100%ネガティブなことを考えているわけではない。頭の片隅に0.1%でもあるポジティブなイメージをいかに大きくしてネガティブなイメージを小さくするか。その方法を練習しました。

 

また、ストレスがかかる事態に直面したときには、自分に都合よくでいいのでポジティブに捉えよう、とも言われました。仕事でいろんな人から追い詰められてどうあがいても解決策が出てこないようなときでも、「こんな状況で話が持ち込まれるなんて俺は頼りにされてるんだなあ」とか、「この状況解決できたら俺かっこいい!」のように。客観的に合っているかどうかは問わないようです。

 

頭では理解しています。しかし、実践するのは難しいですね。

 

そこで、最近の日課にしている筋トレを思い出しました。在宅勤務も多くなって体を動かすことが少なくなったことと、酒量が増えてお腹周りが怪しくなってきたことをきっかけに、昨年から、腕立て、腹筋、スクワットだけですが筋トレを始めました。最初のうちはすぐ筋肉痛になるし、意識しないと筋トレを行うことを数日間忘れてしまうこともあったのですが、徐々に1日のルーティーンとして日課になり、毎日無理せず行えるようになりました。

 

筋トレと一緒で、日々の地道なトレーニングの積み重ねが大事。いきなり腹筋が割れることはないけど、でも続けないと腹筋は永遠に割れない。だから最初はポジティブに切り替えることは無理かもしれないけど、ポジティブに切り替えようとする思考はするようにしよう。そうすれば少しはポジティブに切り替えられるようになるかもしれない。そう考えることにしました。

 

うまくいくでしょうか。

仕事のストレスに対処できない

仕事で嫌なことに遭遇すると、「なんで俺がこんなことしなきゃいけないんだ」という考えてしまいます。被害者意識丸出しになります。そして、その状況から逃げたくなります。

 

実は今日もストレスフルな出来事があったのですが、問題解決を図るのではなく早退してしまいました。明日会社に行くのが怖い。

 

ポジティブになる本を読むと、嫌なことやストレスフルな状況になった場合は、「ゲーム感覚で楽しむようにしよう」なんて書いてあります。楽しめません。ゲームではなくリアルです。

 

「できることにフォーカスしよう」とも書いてあります。自分が考えつく限りできる手は打ちました。でもゴチャゴチャ言ってくる奴等がいるんです。そこで「俺にできることはもうない。どうにもできないことは考えない」と開き直っても、私が問い詰められ、案件が進まないのは私の責任にされてしまいます。

 

周りの人は声をかけてくれます。「変なこと言う奴等ですよね」とは言ってくれます。しかし、状況を打破できるような対策を打ってくれるわけではありません。私の守備範囲の出来事は私の責任で対応しないといけないのです。

 

メタ認知という言葉があります。自分を客観的に見て自分が置かれた状況を把握することだと理解しています。深呼吸して、自分を冷静に見つめてみます。確かに、心の中でモヤモヤしているものは、「ひょっとしたらこう言われるかもしれない」「ひょっとしたら理解してもらえない」「ひょっとしたら誰も助けてくれなくて孤立無援になるかもしれない」という、自分の頭で妄想している「ひょっとしたら起きること」に過ぎず、まだ何一つ起きていません。そこまでは認識できます。しかし、ひょっとしたらの状況が起きること、そして自分が解決策を持ち合わしていないことを考えると、急激に不安になってしまうのです。

 

どうすれば楽に仕事ができるのか、毎日こんな感じで悩んでいます。

 

ほっとできるのは仕事が終わって退社してから(在宅勤務の場合はPCを落としてから)の数時間だけです。

持ち家か賃貸か

自分が住む家は持ち家と賃貸のどちらが得か。古くて新しい議論です。私はこの議論は究極的には宗教論争だと思っていますので、誰もが同意できる結論はなく、どちらの説にしても信じる人は救われる、程度に考えています。

 

日経ビジネスに「持ち家VS賃貸論争、データを見れば結論は出ている」という記事が載っていました。

持ち家VS賃貸論争、データを見れば結論は出ている:日経ビジネス電子版

ネタバレになってしまいますが、情緒を排除して統計データだけで見ていけば持ち家の方が有利、という結論になっています。

 

私はもともとは賃貸派でしたが、10年ほど前に宗旨替えをして持ち家派になりました。

なぜ賃貸派だったか、ですが、

  • 給与が下がってローンが払えなくなるリスクはゼロではない
  • 持ち家は古くなるが、都度新しい家を借りればいつまでも新しい(リフォームするコストを払わなくていい)
  • 減価償却で資産価値が目減りするのに長期間ローンを借りる合理性はない
  • その時々の収入に見合った家に住めば住居費用が家計を圧迫することはない
  • いざとなったら都営住宅がある
  • これからは老人が増えるんだから年齢だけで入居を拒否されることはないだろう

と考えていたからです。

 

持ち家派に宗旨替えしたきっかけは、持ち家はコストではなく資産だと気がついたからです。

私が社会に出た90年代から00年代にかけて、住宅価格は下落しっぱなしでした。そのため「家の購入価格より売却額は大きく下がるの売るときに損をする」という刷り込みがあったのです。

しかし、30歳すぎてようやく住めるようになった都心(山手線周辺)ではそうではなかったのです。生まれ育った地方から出てきて都心に住んで初めて気がつきました。厳密にいうと、すべてがそうではなく購入時から値が下がっていないマンションもある、というべきでしょうか。

エリアと物件を選べば値が下がることはなく、あわよくば値が上がるかもしれない。資産価値がある物件を買うことが大前提ですが、賃貸よりも持ち家のほうが得ではないかと考えるようになりました。

上記の賃貸である理由の裏返しになりますが、ローンを払いきれなくなったら売却してそのときに買える額の家を買い直せばいい、古くなったら売却してそのときに買える額の家を買い直せばいい、そのための投資だ、と考えるようになったのです。くどいようですが、その前提は資産価値がある物件を購入することです。

 

まず、自分が気に入っていたエリアで狭いながらもめぼしい中古物件を見つけ、購入しました。この物件は今のマンション購入に伴い売却したときには築20年超でしたが購入額以上で売れました。

 

これに味をしめたわけではないですが、今のマンションを買うときは、余裕を持った返済計画を立てつつも、少し背伸びをして「よりいい物件」が買えるように資金の計算を立てました。

そのため、近隣マンションの相場も調べて築30年超でも分譲開始時と同等もしくは値が上がっている物件が多いことを確認し、かつ今後の都市計画でより魅力ある街になる見込みがあるかも検討し、エリアを決めました。

そのかわり、部屋の中は妥協せざるを得ませんでした。リフォームに費用をかけられなかったので前の持ち主一家の子供が破った壁紙は直さず、家具は新調せずに前の家から持ってきました。面積も夫婦二人で在宅勤務をするには手狭です(これは購入時には想定していませんでしたが)。

 

住設機器の耐用年数が過ぎる頃には我々夫婦二人とも定年を迎えているはずです。そのときにリフォームして死ぬまで住むか、売却して郊外のマンションに移るか決めることができればいいですね。不動産価格大暴落で売るに売れないというリスクは残りますが、上述の通りリスクは最小限にしているはずです。

 

ところで日経ビジネスの記事で「なるほど」と感心したのですが、持ち家を自分への賃貸と解釈していました。家賃滞納や空室のリスクがなく、大家が得る利益は自分のものになるのだから、その分だけ賃貸よりも有利になるということだそうです。なるほど、ですね。

10回目の3・11

東日本大震災から10年経ちました。

従兄弟を一人、震災で亡くしました。津波です。幸いなことに一週間もたたないうちに遺体を発見できましたが、葬儀のときには棺は厳重に釘で打たれ、最後の対面をすることは叶いませんでした。

火葬の順番でしばらく行えなかった葬儀に参列するために東京から新幹線とバスを乗り継いでたどり着いた従兄弟が住んでいた街の、地震から一月以上経過していたのに街全体にまだ残っていた腐臭(タクシーの運転手さんは気がついていなかったようですが)、あたり一面の瓦礫、建物の上に乗っかったままの船や転倒した車、それらの情景は今でも忘れられません。

後から、従兄弟が津波にさらわれるまでの経緯を聞くことができました。ひょっとしたら逃げることができたのではないかと思われる、やりきれない想いが残る最期でした。

彼が最後に目撃されてから津波が来るまでの間、彼は何を考えていたんだろう。自分が死ぬ運命であることをわかっていたのだろうか。それとも死ぬか生きるかを考える余裕もなく逃げている間に、あっという間に津波に巻き込まれて意識をなくしたのだろうか。今でも考えることがありますが答えは出ません。ただ、確実に言えるのは、彼は死にたくて死んだわけではないということです。

大震災の後、私は休職せざるを得ないほどの精神的な不調に苦しむことになりました。今だから正直に言うと、自死するつもりで、家の周りを散歩しながら首吊りにほどよい場所を探していたこともあります。頸動脈を切るのにちょうどいい切れ味の包丁を物色したこともあります。

そんな状況でもギリギリで踏みとどまることができたのは、周りの人の支えも大きいですが、死んだ従兄弟の存在があったからです。生きたくても生き続けることができなかった人間の分まで生きていかなければいけない。その想いで、最後の一線を超えずに済みました。

できれば振り返りたくないことの方が多い3月11日ですが、生きることのありがたみを思い出す日、そして志半ばで逝った従兄弟のことを思い出す日として、これからも大事にしていきたいです。