ネガティブ思考アラフィフがアーリーリタイアするまでの記録

アラフィフの金融業界サラリーマンがネガティブ思考と戦いながらも1日も早いアーリーリタイアも目指してもがく日記

今さらながらのアドラー心理学

GWの間、久々に「アドラー心理学入門」を読み直しました。

 

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

アドラー心理学入門 (ベスト新書)

 

 

最初に読んだ時は内容がしっくりこなくてそのまま放置してしまい、アドラー心理学に深く触れることもなく今に至っています。なにがしっくりこなかったのか、読み返してようやく理解できた気がします。アドラー心理学に沿って生きるためには、自分が強くないといけないんですね。

 

アドラー心理学のキーワードの一つに、「人生の嘘」という言葉があります。人生において、もしくは日々の生活において何かを判断するときにはさまざまなしがらみを考慮に入れなければいけません。あるときは受け手がどう感じるかを慮ることであり、あるときは上司の理不尽な指示に従うことであったりします。100%納得がいく判断かもしれませんが、社会で生きていくからにはある程度の譲歩も必要と割り切ることもあります。「長い物には巻かれろ」とも表現します。

しかし、アドラー的にはそれではダメだそうです。自分は達成すべき目的には目を向けず、できなかったときの責任転嫁する材料を探しているだけ、それが「人生の罠」だと私は理解しました。

ではどうすべきか。自分の責任だけで選択すべき。「その選択の責任を最終的に取るのは誰か?」を考えれば、しがらみや他人の顔色は考慮には入らないはず、だそうです。

 

「いや、そうは言っても」とつい私は反論してしまいます。例えば仕事のことで、いろんな部署がいろんな思惑があって好き勝手なことを言ってきます。そんなところで自分が「あるべき姿」と思っている方向に強引に持っていったところで、誰もついてこないし機能しないことは明らかです。だから、日々ヘロヘロになりながらみんなの意見を最大公約数的に取り入れて、自分の中では気持ち悪いと思いながらも成果物を出してるのです。具合も悪くなります。しかし、そんな状況で自分の言い分を通そうとするには、反論する相当の勇気と体力が必要になります。

 

セミリタイアもそうです。自分の思うままに仕事を辞め、なんとかやりくりしながら日々の生活を送れば余計なストレスはないのかもしれません。そのためには家族の理解を得ることも必要ですし、親が介護が必要になったときの資金繰りも考えておかなければいけません。だから、イヤイヤながらも今日も出勤しているのです。

 

自分のことだけにフォーカスできれば確かに楽になるのかもしれません。そのためには、強くなくてはいけません。残念ながらその強さを私は持ち合わせていません。アドラー本の代表作は「嫌われる勇気」でしょうが、「勇気を出すための勇気」について教えて欲しいです。

 

入門だけでなく、本人が書いた書物も読むべきでしょうか? まずは「嫌われる勇気」なのかもしれないですが、読むかどうか自分でもわかりません。